パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

お疲れさま会に本人を呼べないときの代替案

2024年3月10日付けで武士沢友治騎手が引退した。それから少し後、私はフォロワーさんに声を掛けて、私の私による私のための”武士沢騎手お疲れさま会”を開いた(参加してくださったフォロワーさんありがとうございます)(ほぼ私が武士沢騎手について喋りまくってそれを聞いてもらった時間だった気がする)(すみません…)
武士沢騎手お疲れさま会とはいえ、たかだか一介のファンが勝手に開いただけだから、もちろんご本人は不在である。呼べるものなら呼びたかった! でもただ本人不在というだけではあまりにも寂しいではないか。

そこで、だ。

 

出でよ!

アクスタ!!

ということでアクリルスタンドを作ってみた。無許可だから個人的に愛でるだけだが……。しかし今後「武士沢騎手のアクスタ作りたいな」となる方がいるかもしれないから、そのときのために作成手順を以下に残しておく。

 

(1)立ち絵を用意する

今回はマルターズアポジー関屋記念を勝ったときの表彰式で撮っていた写真があったから、それを使用することにした。

 

(2)物を用意するプラバン(ダイソーで購入)、土台になるもの(ダイソーのおゆプラを使用)、透明な両面テープ、アクスタにしたい写真、写真の拡大コピー、熱したプラバンをおさえる重し(弊宅で一番重そうなのはエビ・カニ図鑑だった)、クッキングシートを揃える。ちなみに透明両面テープが税込1,749円と最も高額だった。ワロタ。

 

(3)輪郭どりプラバンは熱したら縮むからそれを考慮してちょっと大きめに輪郭をとる。自分はボールペンで点を打ち、それを鉛筆で辿っていった。点と点を繋いでいって、まるで星座を作っているみたいだ。いつだってあなたは私の一番星。

 

(4)プラバンの加工拡大コピーにプラバンを重ねてマスキングテープで留め、水性ペンで輪郭をなぞっていく。なぞり終わったらハサミで切って、水性ペンの跡をウエットティッシュで拭いて消す。プラバンはオーブントースターで熱するのだけれど、我が家にはオーブンレンジしか持っていない。ググってみたやり方(200℃に予熱して、1分ぐらい熱する)で作れそうだったからその通りにやってみる。ちゃんと縮んで平らになったから冷めるまで重しを乗せておいた。

 

(5)写真の加工
プラバンが冷めるのを待つ間、写真を加工する。無心で切り出す。ただそれだけ。両面テープを貼って、要らない部分を無心で切り出す。ひたすら切るのみ。

 

(6)プラバンに写真を貼る冷めたプラバンに写真を仮乗せして位置を確認。今回プラバンの縮み方が思っていたものと違って、脚の部分がちょっと長くなってしまった。まあ手作りだから大目に見ることにする。貼る心の準備・覚悟ができたら、両面テープの剥離紙をめくって、気泡が入らないように注意しながらプラバンに写真を貼っていく。慎重に貼って、イヤァァァァーッ!!!!!!

 

(7)完成

武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!

なんつう声援飛ばしてくれてんだ、と私の目頭は熱くなった。

もちろん悪い意味じゃない。でもいつもの日曜日みたいに、特に泣いてしまうこともなく、ただちょっと寂しいな、と終わるはずだったのに、誰かわからない方の大声でその目論見は消えた。ぎゅうっと胸が締め付けられる。そうだ、最後、なのだ。

迫って5番キーチズカンパニー武士沢友治は後ろから4頭目、と実況が流れたように、武士沢友治騎手の騎手生活最後のレースは後方からの競馬になった。らしいと言えばらしいレースだと思いながら、それでも一縷の望みをかけて行く末を見守っていた。スタンドのあちこちから武士沢騎手への声援が飛び交うなか、私の涙腺を刺激した声があった。「武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!」声の主はわからず、きっとその方も反射で出てきたのだと思うけれど、こんなにも気持ちを揺さぶる声があっただろうか。文字にしたら乱暴かもしれないが、あの場でこの声が聞こえた人には胸を打つものが込められていたと思う。

 

武士沢騎手が先週水曜日に引退を公表し、翌日の木曜16時には出馬表が掲載されてラストウィークの乗鞍がわかり、土曜・日曜と無事に全鞍ゴールまで到達して、日曜日の最終レース後に引退セレモニーがあり、そしてまた木曜16時に出馬表がJRAのホームページに掲載された。1週間あっという間だった。今週掲載された出馬表には当然ながら武士沢騎手の名前は無かった。騎手名鑑にも名前は無くなっていて、引退騎手名鑑のほうに2024年3月10日引退という文字とともに名前が載っていた。寂しい。

約15年間、ときどきサボったり、ときどき入れ込んだり、その波に強弱はありながらも武士沢騎手がいる競馬は生活の一部になっていた。いま私は32歳だから、約15年というのは生きてきたなかのおよそ半分。それが無くなったのだから寂しいのは仕方無い。でももっと腑抜けるかと思った。普通に生活はできている。ただどこかまだぽっかりと空いた穴が自分の中に居座っている。これはしつこいやつだな、と漠然と思う。

 

何を書けばいいのか、書きたいのか。正直わかっていないまま、でも何かを吐き出したくて、いまここにいる。

 

そうだ、花束。

武士沢騎手の引退がわかってから、今日まで応援し続けることができた感謝の思いを形にして伝えたくて、安直ながら花束を渡したいと考えていた。そうとなったらどんな花束にするか。宝塚歌劇団の退団ブーケや、福永祐一調教師の騎手引退セレモニーで素敵なブーケを手掛けた らんすいえん さんが一瞬頭をよぎったけれど、時間的にも場所的にも難しいだろうと諦めた。そして無茶を承知で近場のお花屋さんにお願いすることにした。言葉でうまく伝わるか心配だったから、仕事中に思い浮かんだイメージを急いで手帳に書き留めたものを店員さんに見てもらった。

馬名は後日追記したものだけれど、左の殴り書きが右の花束になるのだからお花屋さんってすごい。最初はうまく伝えられなくて紫&白・赤&白・水色&赤の計6本のお花を1つにまとめると勘違いさせてしまったのだけれど……。引退するスポーツ選手に花束を渡したい(いま思えば"騎手"でも伝わったか)、ユニフォームをイメージした色合いの3つのブーケを1つにまとめる感じにしたい(勝負服でも以下略)、最後だから華やかにしたい(これは小桧山調教師の写真を見せたら伝わった)等々、多くの抽象的な注文を聞いて、丁寧にすり合わせていってくださって本当に有り難かった。周りは白いカスミ草を散らすか、葉っぱなどの緑を添えるかの2択で迷ったのだけれど、出来上がった花束を見たら緑を添えるほうを選んで良かったな、と思えた。トウショウナイトも、アルコセニョーラも、マルターズアポジーも芝で勝ったから。

当日は朝からウィナーズサークルで待っているファンの方々が多くて、本当に花束を渡せるかどうか気が気じゃなかったけれど、色んな方のお力添えや後押しがあって無事に手渡すことができて、うれしいのとホッとしたのとが綯い交ぜになっていた。

 

過去の私へ。花束を用意しても武士沢騎手に渡す機会が無くて結局持ち帰ることが何回かあると思うけれど、数年後にはようやく花束渡せているから安心しな。最後の最後、というときだけれど。

 

さきにも書いたけれど、武士沢騎手を応援している間に色んな方にお会いすることができて、たくさんお力も貸してくださって、どうお礼を伝えたらいいのか。中には恩を仇で返した方も、不義理をしてしまった方も居る。今さら詫びても遅いけれど。手助け無しでは辿り着けなかったところもあった。

引退がわかってから武士沢騎手のこれまでとともに、自分自身のことも振り返ることが多かった。SNSでは好き勝手言っていて、どんな応援幕を出しているかもわかる内容を発していて。今は中央競馬パドックに応援幕は掲出されていないけれど、かつては応援幕が並び、何とはなしに競馬場ですれ違う人の中でも「あの応援幕を出している人だ」とわかることもあった。対象がそうでなくても、ファンの人たちがあまりよろしくなくて、その対象までどことなく良いイメージが持てないということも十分有り得るなかで、私はどうだっただろうか。良いファンでいられただろうか……というのは無理な話かな。好き勝手な言動をしているからきっと「武士沢……、ああ、あのパンダのアイコンのヤツ嫌いなんだよなあ」と思わせてしまった人もいるだろう。

 

それにしても中山競馬場パドック沈丁花を植えたのは憎い演出だと思う。スタンドから馬頭観音側を通ってパドックに向かう道すがら、ふわっと鼻をかすめる甘い香り。また来年、競馬場じゃない場所だったとしても沈丁花の香りがすることに気付いたら、私はこの日のことを思い出すかもしれない。

2024/03/09 徒然

武士沢友治騎手の騎手生活ラストウィークが始まってしまった。こんな時でもらしさ全開の騎乗馬だなあ、とか色々思いながら競馬を観ていたらあっという間に土曜日が終わった。明日は、ほんとのほんとに最終日はどうだろうか。きっと今日よりも短く感じるのだろう。寂しいなあ。

2024/03/06 徒然

www.jra.go.jp

ついにその日が来た。そう思った。今年はやたらと騎手の引退が多いと感じていた。もしかしたら自分が応援している武士沢友治騎手も例に漏れず引退してしまうのではないかという不安を覚えながらも、心のどこかではまだまだ騎手を続けるだろうという思いもあった。そう思い込みたかっただけかもしれない。でも、もう避けられない事実として、武士沢騎手は3/10をもって騎手免許を取り消すことになった。寂しい、とか、しんどい、とか、ツラい、とか、いまの自分の心情を表す言葉はいくらでもあるけれど、どれもがぴったりでいて、それでいてどれもがどこか足りない、なんだか違う、と感じてしまう。寂しいし、切ないし、ツラいし、しんどいし、まだ辞めないで、騎手をもっと続けていて、と思う。でもその一方で新たな道筋である競馬学校の教官に就く武士沢騎手を応援したい気持ちも抱いている。後進の育成に携われるなんて素敵なことじゃないか。そう思うのも嘘ではない。でも。そう、でも、が付き纏う。しょうがないじゃないか、初めて武士沢友治という人間を知ったのは騎手であるその人だったのだから。どうしても聞き分けのない自分が地団駄を踏むのだ、もっと騎手・武士沢友治を見たかった、応援したかった、と。とはいえ、どうしたらいいものか、武士沢騎手の騎手免許取消申請はあって、3/10付けで騎手免許は取り消される。私が地団駄踏んだところで、どう足掻いたって、嫌だいやだと言ったところで、おそらく覆らないだろう。難しいな。正直な思いがそれだ。割り切れない、受け入れることがなかなかしがたい、理性と感情が反発し合っていて、難しい。とはいっても皆に時間は平等に流れて、私にも誰にでも3月10日は訪れるであろう。少しずつ少しずつ、かどを削るようにして気持ちを丸くして、受け入れるしかないのだ。そして一介のファンはただ見送るしかないのだ。わかっている。わかってはいる。いつか訪れるであろうその日が今だったというだけのこと。わかってはいるんだ……。

2024/03/04 徒然

平日の労働ですり減らした体力気力の残りを絞り出して、土日に競馬場へ行き、そこで使い果たした体力気力が戻らないまま再び労働へ――。というわけでまだ月曜なのに息も絶え絶え。デジイチを首からさげて競馬場を歩き回った身体に鞭打って出社すればデスクワークで首肩腰にダメージを重ねていく。20代の頃はどうにかなったものの、30代では回復が遅い。こんな日はストレッチして早めに寝るに限る。あと基礎的な体力をつけたい……。

2024/03/03 徒然

先月のピックアップラインに続いて、今日はカシマエスパーダで武士沢友治騎手が今年2勝目をあげた。

hrcoo75.hatenadiary.comうれしい! 良かったー! 2022年は年間2勝、2023年は年間3勝と、なかなかもどかしい年が続いたけれど、もしかしたらこの調子で今年の年間勝利数は結構な数に届くのではないかと期待している。今日のレース映像をもう一度観ると、カシマエスパーダはだいぶ強いのではないかと思う。ぜひとも武士沢騎手と一緒に大きい舞台に行ってほしい。

なぜかカシマエスパーダを管理する鈴木慎太郎調教師ではなく小桧山悟調教師と腕を組んで(?)現れた武士沢騎手。

 

中山競馬場のダート1800mというと、フォーマイセルフが遠くへ旅立ったレースもそうだった。

hrcoo75.hatenadiary.com2018年の3月3日。そして今日も、中山競馬場で、ダート1800mで、3月3日。フォーマイセルフのときも、カシマエスパーダも、鞍上は武士沢騎手。こういう偶然もあるものなんだな、と空を見上げたくなった。先日こんなブログ記事を書いていたから余計に。

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そして中山8Rにはフォーマイセルフの半弟アンビバレントも出走した。
結果は……うん、わざわざ記すことでもないかな、とだけ。フィジカル面では余裕があってもメンタル面では精一杯走っているというコメントに「うっ……そうだよね……そうだよね……!」と胸がぎゅっとなってしまった。

 

中山8R後は定年を迎える小桧山悟調教師の引退セレモニーのようなものがあった。武豊騎手や武士沢騎手から小桧山調教師へ花束を渡したり、騎手や調教師や色んな方々と記念写真を撮ったり。

 

競馬を見ていると、始まりがあれば終わりがある、出会ってしまったらあとは別れのときに向かって突き進むのみ、と痛感させられる場面にふいに出くわすことがある。それも少なくはない頻度で。これからもそれに変わりはなく、ときどき辛かったり寂しかったりする思いも、新たな出会いに胸をときめかせたりすることもしながら、競馬が生活の一部であり続けるのだろう。

2024/03/02 徒然

本日の中山5Rにオウケンシルヴァーが武士沢騎手を背に出走。……先週も走ったよな? と出走成績を見たら紛うことなく連闘であった。

また走るなら先週雨の中わざわざ4コーナーに行ってみなくても良かったのでは、と言うのは野暮なのでぐっと言葉を飲み込んで、今日も4コーナーでカメラを構えた。蹴り上げられた土塊があちこち飛んでいるなかを時速60kmで駆け抜ける心境を想像しながら。