パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

映画『メタモルフォーゼの縁側』を観て思ったこと(感想という名の自分語り)

感情がたしかに動かされたのにここまで自分のなかにむくむくと湧き上がったものを言葉にできないとは思わなかった。映画『メタモルフォーゼの縁側』を観た数日後に、同じ映画を観た方と感想を言い合える機会を得たにもかかわらず、自分のなかのものを何にもどうにもうまく言葉にできなかったことに、自分でショックを受けてしまった。映画は良かった。うららの表情も、雪さんの佇まいも、良かった。ひとりとひとりが紡ぐひとりの物語だった。原作とは少し異なるかもしれないけれど、人生の中でたしかにあった好きを好きでいたある時間を丁寧に描いていたと思う。

自分は雑誌連載を追うほどではないが、ボーイズラブを好むほうだ。最新巻が出ればどんな展開になっているだろうかと、初めて読む作家さんやレーベルなら話自体はもとよりどんな色をしているのだろうかと、シュリンク包装もそこら辺にほっぽったまま読みふけって、それまでの既刊を読み返し、好きなシーンを反芻し……という経験はあるし、今でもままある(まあこれは世間一般的な経験だと思うが)。だから髪をタオルでおざなりに拭いただけで漫画を手に取るうららに共感を覚えたし、好きだとそうなるよね、と胸がぎゅうっとなった。翌日のぼさぼさな髪にもキュンとした。同時にボーイズラブを読み始めた頃は今ほど映画やドラマなど大衆の目にふれるようなジャンルではなく、オープンに明かせる趣味ではなかったように記憶しているから、喫茶店で周囲の目を気にしたり漫画を隠す気持ちもわかった。だからこそ、最初のほうの書店内のシーンで、漫画の話をしたかったと雪さんの言葉を受けたうららの表情に心臓を鷲掴みにされたわけだが。

そういう自分のこれまでがあるからか、映画『メタモルフォーゼの縁側』は推し活のことが浮かばなくて、自分の推しを思うこともなかった。頭の片隅にあったのは、ボーイズラブの漫画や小説を読んでいた頃のことや、コミティアではないけれど春コミやスパコミ当日の深夜2時ぐらいにコンビニのコピー機でひたすらコピーして居間でホチキス留めをしたこと、その前にWordとにらめっこしながら「これを本にして売るのか?」「というか本になるのか?」と髪をかきむしってもんどり打ったことなど。推し活は、感想90分一本勝負に声をかけてくださった方がそれに言及してハッとしたぐらいだった。「自分の推しのことは思い浮かばなかったのか?」と。自分はボーイズラブが好きな人の目線で観たけれど、今回はそれがきっかけになっただけで別にボーイズラブじゃなくても好きを心に抱いている人のことでもあるのか。

様々な意見があるのは承知しているが、やっぱり好きを心に抱えていると単調な日々でも気持ちが持ち上がるときがあるし、毎日のくらしの支えにもなると個人的には思う。好きに寄りかかること(というよりも拠り所をひとつに限定してしまうこと)を全面的には是としない風潮にもなりつつあるのは感じてきているし、たしかに依存したり縋ったりという思いの強弱には賛否両論あるだろうが。そしてこう思っていることを書き記しているが、好きが無いことを否定したり「好きなもの見つけたほうがいいよ」と勧めるつもりも無い。それは人それぞれであって、よそはよそ、うちはうちというものだ。それを踏まえた上で、好きは力になると思う。声をかけること。一歩踏み出すこと。躊躇いを乗り越えること。後悔をいつか糧に変えること。今の自分からそうじゃない自分に変わること。そういうことたちの力であれと願う。

そうすると、映画『メタモルフォーゼの縁側』と、自分の推しである武士沢友治騎手をこれまで追っかけてきたいわゆる推し活と重なる部分も多々あるのかもしれない。新刊のシュリンク包装を外すときと同じように今週の騎乗馬一覧をクリックするときはドキドキするし、ページをめくってその先の展開に胸がざわめくように、レースの展開にも胸はざわめく。武士沢友治騎手を好きだと言い続けてきて知り合えた方も少なくない。同担拒否ではないけれどどこかが武士沢騎手のことで盛り上がっていたら楽しそうだなあと思うし(ずるい、と思えず傍観してしまうところがもどかしいが)、京急蒲田から池袋まで駆け抜けるように東京競馬場から小倉競馬場へと飛ぶこともあるし、サイン会の後のようにウィナーズサークルの後はテンションが上がってしまう。こういう自分の行動に移せてきたのは好きが原動力になっていて、うららと雪さんのような物語ではないけれど、青春だったかと問われればそうだと答えるし、どうせとかでもとかだってが先立っていた自分から大なり小なり変わることができたと思う。

あと、映画では雪さんはもとより、紡も誰も否定的な姿勢をとっていなかったのは救いだと感じた。うらら自身が、同級生の英莉が世界一初恋(違っていたらごめんなさい)などを会計するときや、冒頭の喫茶店のシーンでボーイズラブを好む自分を隠すあたりが否定的といえば否定的かもしれないが……。あと流行りだというのがからかい半分かな? 現実はこんなに優しくなんかないとはいえ、物語の中だけでも好きを否定しないのは心のやわこい部分が守られたようだった。願わくば現実でもうららや雪さん、咲良くんや佑真くんが抱いている好きを大事にしていける世の中であってほしい。

もっと言葉にしたい思いはあるけれど、ここまできてもやっぱりうまく言い表せない。感動した、というのとはまた違うけれど、感情を動かされた映画だった。

1泊2日で旅行してきた

ということで、ちょうど自分の誕生日が金曜だったから有休を取り、金・土の1泊2日で定年退職祝い&自分への誕生日プレゼントとしてちょっと遠出をした。

ちょっとどころじゃあないんだわ。九州ぞ。

空港に降り立った率直な感想は「大分県って本当に来れるんだ……」だった。九州ってやっぱり遠いところというイメージがあって、小倉競馬場は行けても、その他の場所はいつか行けたらいいね、行けることあるのかな、と思っていた。母親も同じ感想だったようで、2人で「大分県来ちゃったね」と言い合っていた。そして夫は飛行機に酔ってダウンしていた。

これはパッケージに惹かれて購入した朝ご飯。えびかわいい。

 

いざ旅行に行くぞとなると行程詰め込みデッドオアアライブが恒例だった我が家だけれど、もう自分も母親も若くないし無理することはないと思い直して、のんびりまったりコースを組んでみた。

かねてから母親が見てみたいと言っていたのは磨崖仏。栃木県の大谷磨崖仏は見たことあったけれど、磨崖仏といったら大分県。それじゃ定年退職後にお祝いで旅行しようよ、と話していたもののコロナ禍と重なって計画は立ち消えになってしまっていた。そんなときにちょうどケーブルテレビで磨崖仏特集を目にして、調べてみたら行けなくはなさそうで、目的地のひとつは母親の足腰が丈夫なうちじゃないと無理そう……と色々な要因が重なって実行に移すことにした。

 

まずは川中不動。

どうやって彫ったのだろうか。大雨のたびに氾濫を繰り返す川の水害除け祈願のために彫られたらしい。こんな不動明王に睨まれたら川も大人しくなるだろうな、なんて。

国東半島について調べてみたら独特の山岳宗教文化が栄えた寺院群があり、その修行場でもあるらしい。川中不動の近くにある天念寺から見えたこの光景は無明橋といって、修行の難所だそう。おわかりいただけただろうか。

ヒエッ……。

 

途中で富貴寺にも参詣。本堂改修に際して、阿弥陀如来が安置されている大堂に勢至菩薩と観世音菩薩が移されていた。本来はこの三尊像で配置されるのだけれど、改修が終わったら勢至菩薩と観世音菩薩は本堂に戻るのだとか。そういった説明に自分の知識の無さから「そうなのか」としか思えなくて悔しかった。予習しておくべきだったなあ。

受付ですやすやお昼寝していたネコ。気持ち良さそう。

近くでお昼ごはん。だんご汁美味しかった。でも、感激したのは刺身こんにゃくに付けるお味噌。梅の風味がして美味しくてたまらなかった。これもどうぞ、と出してくれた梅干しも正統派な酸っぱさとしょっぱさで身体に染み渡った。皮がしっかりとしていたし、自家製だったのかもしれない。また食べたい。

 

そして1日目のメイン、熊野磨崖仏へ。

ケーブルテレビで見ていたから夫も自分も「テレビで見たことある!!」と月並みな感想を口にしてしまった。鬼が築いたという石段を100段ぐらい登っていったのだけれどもうバテバテだった。だからこそなのか、この2体が見えたときは感動した。左が不動明王で、右が大日如来。この不動明王は柔和な表情だと言われているが、川中不動の不動明王と比べるとたしかにそう見える。時間が許す限りここに居たいほど、ずっと見入ってしまう魅力があった。

石段。母親の足腰が丈夫なうちじゃないと無理そう、というのはここを登るから。夫も「来年の俺だったら無理だった」と言っていた。自分もそう思う。

≧[゚ ゚]≦

 

珍しく夕食・朝食付きの宿泊プランにした(一人旅だと素泊まりを選んでしまう)ので料理を堪能。刺身醤油が甘くて九州に来たのだという思いが強くなった。先付けから何からもう全部が美味しかった。幸せ。

チェックイン時に「お誕生日なんですね」と言われて照れくさかったのだが、デザートにHappy Birthdayと書かれたチョコプレートが添えられていた。あと金箔がのっているのも自分のデザートだけだった。母親のお祝いもあるのに自分だけで申し訳無いとは思いつつうれしくなってしまった。写真はチョコプレート食べた後。

 

食後は周辺を散策。さんふらわあの出港時刻だったようで、ちょうど沖に出ていくところを見ることができた。

九州といえば大砲ラーメン、とはいえさすがに自分は夕食後にラーメン食べられないから、夫を眺めながらビール。

 

2日目はあいにくの空模様のなか一路臼杵へ。道を間違えるわ、土砂降りだわ、稲妻は見えるわでてんやわんやだったけれども、まあこれはこれで楽しい(はず)。

身も蓋もない感想だが「本当に崖に彫られている……」と驚いてしまった。こんなに彫り出せるものなのかと思っていたら、ガイドの方が岩が柔らかいのだと解説してくれた。だから後ろまで立体的に彫ることができて、そのせいで古園石仏の仏頭は胴体から落ちてしまったのかもしれないそうだ(現在は修復されているが)。そう言われれば熊野磨崖仏はもっと平面的だったかもしれない。比べることができるとは思わなかったけれど、前日に行っておいて良かった。

こういうの好き。

 

2日目は帰りの飛行機との兼ね合いもあって、臼杵石仏だけしか見られなかった。行程組むのちょっと失敗したか。本当は別府観光もしたかったし、熊野磨崖仏や臼杵石仏以外の磨崖仏や寺社仏閣も巡ってみたかった。でも本当に見たかったものは見られたから良しとしたい。

最後に大分空港で食べた鶏天とりゅうきゅう。美味しかった。ビールとのセットにしておけばもっと美味しかったのかもしれない……。

 

そんなこんなで駆け足気味だった1泊2日の大分旅行。油断は禁物だけれど、こうしてまた誰かと遠くへ行けるようになりつつあって良かった。

 

女手一つで自分含めきょうだいを育ててくれて、成人後もやたら迷惑かけまくっているから、恩返しというにはまだまだ全然ほんっとうに足りないけれど、自己満足だとしても母親が行ってみたい、見てみたいと言っていた場所に連れて行くことができて、なんというか、ほっとした。

実家を出て暮らしていて顔を見るのはたまにだから余計にそう感じるのだろうけれど、自分の親も老いとは無関係ではないのだと会うたびに思わされる。正直それが怖い。この恐怖は親離れできていないからだろうか。自分が年を取るのと同じように毎日、毎年、それこそ毎分毎秒、親も年を取っていく。いずれ身体の自由が効かなくなるかもしれない。祖母と同じように物事がわからなくなる時がやってくるかもしれない。そう考えると、鳩尾がぎゅうっと握り潰されたような、足元にぽっかりと大きな真っ暗な穴が空いたような、黒い影がべったりと背中にはりついているような感覚に陥る。底無しの恐怖というべきか。わけもなく叫び出してしまいたくなる。

といっても怯えていては何の実りも無いから、自分は自分のできる限りで動いて、母親にこれまでの感謝を伝えていきたい。と言っても旅行に行くとか美味しいもの贈るとかそういう簡単なことしかできないのだけれど……。でも、「行ってみたいなあ」「見てみたいなあ」を「行けるよ」「見られるよ」に変えることやそれを実行に移せるようにすることも大事だろうから、まあこれはこれで親孝行のひとつの形ということで。

 

そして同じようなことをツイートでも言っていた。

これを見たのかは定かでないが(見ていないと信じたい)、大分から帰る途中で「次は富山行きたいな!」と母親が言っていた。よっしゃ任せろ!!

新潟競馬場へ恋しさを募らせる

競馬ファン現地観戦派が言う「乗り換え1回なら近い」はどこかがバグっているような気もするが、福島競馬場新潟競馬場に行くときの言い訳に自分も使うから分からないわけではない。ということで夏競馬がすぐそこまで来ている今、声を大にして言いたい。

新潟競馬場に行きたい!!!!!!

ちょっと前まで遠出することに抵抗感があり、夏競馬が楽しみではあったものの自宅観戦するだけに留めていた。車を持っていないから移動は公共交通機関に限定されてしまうし、レンタカー借りるにしてもドドドドドペーパードライバーだから運転が超超超不安だし、万が一事故を起こしてしまったらと思うと行く気にはなれなかった。そうして募っていく競馬場への思い。福島競馬場も好きなのだけれど、特に新潟競馬場に対して行きたい気持ちが強くてうずうずしてしまう。

 

新潟競馬場東京競馬場などに比べてパドックやレースコースなどで競走馬との距離が近いように感じる。
迫力があって良い。

夏場のパドックは日差しを遮るものが無くて、何の罰を受けているんだ……? と思うほど直射日光に炙られているように感じるけれど、夏競馬なんて暑くてなんぼってところがあるからそれもまた一興。ごめん嘘。つらいものはつらい。水分補給・塩分補給・熱中症と日焼け対策は当然ながら必須。土曜夜に新潟の地酒飲んだくれて二日酔いの状態で日曜行ったら死ぬぞ!
もはや夏の風物詩となったミルファーム大運動会。このときはパドックに出てきた騎手の勝負服がミルファーム以外も赤と白だけで壮観だった。もう一つの夏の風物詩は競馬場Usというのは言わずもがな。

「は~じま~るよ~」じゃあないんだ。ほんと、良い位置にあるよね……。


障害レースは目の前でどんどん飛越していってかなりドキドキする。大丈夫かな、という不安もあるけれど、躍動感やスピード、力強さに心を鷲掴みにされてしまう。あと、レースを柵沿いで観戦するのも良いけれど、アイビススタンドの外階段から全体を眺めるのもわりと気に入っている。コースを駆け抜ける人馬と、彼・彼女らを見つめる観客という光景が好きなのかもしれない。

コースが近いと騎手の表情もよく見える。

飛行機も見える。

夏競馬はイベントも盛り沢山で楽しい。コロナ禍でそういうのはめっきり減って、オンライン抽選会といったもののほうが多いと思うけれど、次第に復活するのだろうか? ちょっと無理かな……。懐かしいあの頃。
イベントを優先してしまって某さんに応援幕を回収してもらうというダメっぷりも披露した。いつぞやはありがとうございました……。某さんには写真掲載許可とモザイク無しもOKいただいたけれど一応モザイク有りを載せる。
奇跡的にバックヤードツアーに当選したことがある。たしか「ジョッキーと行く レースコースバスツアー」だったような。スマートフォン背部に書いてもらった武士沢友治騎手のサインを記念撮影時に松岡正海騎手に気付かれたり、村田一誠騎手が武士沢友治騎手のサインを書いてくれたり(???)、直線のスタート地点まで行けたり、楽しかった。しかしこの後乗るはずだった新潟駅までの最終バスを寸前で逃して豊栄駅まで歩くことになるとは夢にも思わなかった。
ああ……日が暮れる……と思いながら1時間ぐらい歩いた記憶。


もちろんグルメイベントもある。だって新潟だもの、飲むしかないでしょう。新潟クラフトビールの陣は通いすぎたのか、スタッフの方に「どう? そろそろ全種類飲んだ?」と聞かれ、クラフトビールの陣が終わった翌週に新潟駅クラフトビール館へ寄ったら店員さんに「あっ!!」と言われる始末。またお会いしましたね。

 

そう、新潟競馬場は競馬場の外にもたくさん惹かれるものがある。一日の競馬終わりでも、競馬を半休しても、新潟をぶらりと観光するのも欠かせない。車が無いとどうしても公共交通機関に頼らざるを得ないが、その範囲でも十分に満喫できる。ぽんしゅ館も良いし、新潟駅から萬代橋を渡って古町を散策しても良い。

もちろん古町以外もオススメだ!
立ち食い寿司弁慶は何度でも行きたくなる。お寿司が美味しいのはもちろんのこと、冷蔵庫から好きな新潟の地酒のワンカップを選んで一緒に飲めるので、至福のひと時が過ごせる。


ちょっと距離があるけれど、新潟駅から長岡駅を経由して青海川駅まで足を伸ばしても良い。

 

こう見ると新潟競馬場が好きなのか、新潟観光が好きなのか、分からなくなる。どっちも好きだからどっちが良いとかはなく、両方があるからこそ互いの価値が高まるのだと思う。今夏行けるのか、行くのかはわからないが、早いうちに再び訪れたい。

……あっ、新潟競馬場が好きな理由ってもしかして……!
関屋記念!!

2022/06/12 徒然

今週も武士沢騎手が1着になった。うれしい。今日は自宅でグリーンチャンネルWebから観ていたのだが、ステップの最後の追い込みに思わず「きたー!」と声を上げてしまった。うれしい。勝つって最高だ……と胸がいっぱいになった。

これまで何度か福島競馬場新潟競馬場にまた行きたいと夫に話していたところ、先日夫のほうから「福島とか新潟行きたいって言ってたけどオーロラアークが走るとき行こうよ、勝った馬の次のレースも観たいじゃん」と言ってくれた。それを思い出して、今回ステップが勝ったから福島や新潟に行く機会が増えるかもね、と浮かれ調子で話したところ、えっ? 毎回行くの? と返ってきた。

ん???

推しのマスク姿の思い出

数年前まで考えられなかった光景といえば、推しのマスク姿である。推しの職業は騎手だ。競馬場のパドックやレースコースで、勝てばウィナーズサークルで、時としてインタビュー記事や会見映像でその姿を拝むことができるが、コロナ禍以前は当然のようにそういう時はマスクをしていなかった。騎手でも花粉症だったり人によってはマスクをしていたかもしれないが、自分の記憶を辿っていっても、公の場で自分の推しである騎手のマスク姿は見た覚えがない。

ということを、先日のウィナーズサークルで撮影した写真を見返しながら思っていた。それと同時に思い出すこともあった。もう5年以上経つから時効だろうか。一度だけ、見たことがあるのだ。推しのマスク姿。

当時は心臓が口から飛び出て破裂した気がするほど驚いた。でも、いま思えば推しを現地観戦するために土日で競馬場間を移動すれば自ずと似たようなルートを辿ることになるから公共交通機関でのニアミスは「それはそう」という感じで納得できる。そう、公共交通機関でばったりと遭遇した。詳細は省くが、待合室で椅子に座って一息つき、何気なく周りを見回したら推しが後ろの席に居た。人は自分の思いもよらない展開にぽんと放り込まれたらどうなるか。自分はその時まで知らなかった。キャー! とか言わない。言えない。自分の場合だが、「えっ」と声が出て指を差してしまった。顔を上げる推し。目が合った(気がした)。

そして、逃げた。誰が。自分が。

その時は自分ひとりではなく、同行者も居たから正確に言えば2人でその場を離れて近くのお土産物屋さんに隠れるように逃げ込んだ。そこでSuicaでお茶を買ったのだけれど、同行者からSuicaを取り出した手が震えていることを指摘される始末。しかしああいう場面で「ファンです!」とか「応援してます!」とか伝えられる人ははたして居るのだろうか。いま同じことになっても、自分はできないなと思う。自分が小心者やビビりというのもあるが、競馬場から競馬場に移動する最中であれば自分からしたら推しは仕事中だと思うし、行きしな帰りしなであればプライベートの時間だという感覚だ。仕事中でもプライベートでも、どちらにしても邪魔されたくないだろうし、話しかけられたくもないだろう。ということでそーっと席に戻ると推しはマスクをしていた。そりゃいかにもなヲタクに指差されたらマスクも付けたくなるわ。そうして自分は初めて推しのマスク姿を目にしたのである。

どうして指差してしまったのだろうか、平静を装えなくて失敗したな、悪いことしてしまったな、と今でも頭を抱えてしまうし、すべての責を負ってここで腹を切りますと諸肌を脱ぎたくなってしまう思い出だ。これを機に、こんなこともあったと良い思い出に昇華させたい。いや決して悪い記憶ではないのだが、自分の失態が恥ずかしくて身悶えてしまう。あと、このときの同行者の方に自分はたくさんの恩があるのだが、良くない形で縁が切れて恩を仇で返してしまった申し訳無さも同時に沸き起こってしまう。

そんなこんなでこの話はここで終わり。この数ヶ月後に公共交通機関でのニアミスはもう一度だけあるのだけれど、チェックインぴっぴっやってて横向いたら推しがぴっぴっやってて心臓パンってしたのはまた別のお話。

2022/06/07 徒然

スマホの写真フォルダを見ていたら動画があった。土曜日のものだ。武士沢騎手が勝ったレースのスーパースロー映像が流れるターフビジョンをビデオで撮っていたようだ。ターフビジョンを撮ったことがある人ならわかるかもしれないが(それか自分の撮り方が悪かったか)、再生してみたらモアレが酷くて何もわからないような代物だった。無念。でもその時は必死だったのだ。音量を上げてみると自分の声が入っている。声というか、なんというか、音。「はうぅ……」「ふぅん……」「やば……」なんだこれ。本能垂れ流しと言っても過言ではないのでは? 横に居た夫が、やったじゃん、ぶっしー勝ったよ、ゴール前ちょっと危なかったじゃん、いけ! いけ! って言っちゃったよ、と話しかけてくれている声も入っているのだがそれに自分が返事をしている声は無く、うぅん、やば、としか聞こえてこない。恍惚の境地、ここに極まれり。

応援している騎手が本年初勝利を挙げた


武士沢騎手が勝ったと理解した瞬間の写真。ブレッブレである。


武士沢友治騎手が勝った。2022年6月4日の東京6Rでオーロラアークに騎乗して、見事1着となった。連敗数は215でピリオドを打った。2021年10月17日東京5Rのペイシャフェリシテを最後に勝てていなかったからその日数にして230日。230日!? 1年は365日だが???
個人的には2019年2月16日東京1Rでペイシャネガノが勝ったとき以降、現地で武士沢騎手の勝利を観ることができていなかったから、余計に長く長く感じた。やっとだ。やっとウィナーズサークルで武士沢騎手の笑顔を再び観ることができた。もう天にも昇る心地である。推しの笑顔に勝るものがこの世にあるだろうか。いやない。半年以上じくじくと胸の奥底に横たわっていた不安も心配も弱音も一気に吹き飛んだ。推し is パワー。いい薬です。

 

 

とにもかくにも本当にほっとした。武士沢騎手の本年初勝利がなかなかに遠かった。1月中に勝てるかな、まあ3月までに勝てたらいいよね、中山開催のうちに勝ちたい、ダービーまでに勝てるだろうか、いやもうダービー終わったが!? と2022年の1勝目がいつになってもやってこないことでどんどん焦りが募っていた。ちょっとググってみると、これまでその年の初勝利が最も遅かったのは4月4日で、2004年のようだ。今日は6月4日。さらに2ヶ月遅かったのか……そりゃ長く感じるわ。

 

今日も前日まで行くかどうか微妙なラインだった。まあ行くか、と入場券を購入したのは18時台だったから、あのままだらだら迷い続けていたらきっと行かないほうに決めていて、今日の勝利には立ち会えなかった可能性もあったと思うと、神か仏か、見えない何かに感謝したくなる。現金なやつである。

 


パドックでオーロラアークはミストに近いところを歩いていた。気持ちよかったのだろうか。ミストに興味津々のようにも見えた。

 


今日は1鞍入魂だった武士沢騎手。

 


ぐいーんとなっていて、大丈夫だろうかとハラハラしてしまった。返し馬の後、上位人気馬としてモニターに映っていたのだけれどその時も落ち着かない様子で、武士沢騎手が何回かムチを入れる(という表現で合っている?)場面もあって、気を揉んでしまった。

 


スタート良くて道中は内ラチ沿いにコースを取ったものの、最後の直線で前が詰まらないだろうか、外に出すにしてもそれがロスにならないだろうか、と気が気じゃなかった。ゴール寸前まで今回も2着かもしれないと思ってしまった。「オーロラアーク号の騎手武士沢友治は、最後の直線コースでの御法(鞭の使用)について過怠金70,000円」と制裁食らっていたけれど、観ている最中は何ひとつ気付きもしなかった。
この後はオーロラアークが1着だと確信できて、勝ったうれしさや連敗脱出の安堵感や、興奮やら何やらでてんやわんやだった。ホースプレビューに行こうかと思ったけれど、そっちにも向かったことで口取りが見られなかったら後悔してしまうかもしれないとウィナーズサークルへ向かった。足がもつれて転ぶかと思った。
ウィナーズサークルに着いてから夫が見せてきた馬券。「単勝」という文字と購入額が目に飛び込んできた瞬間、膝から力が抜けてくずおれてしまった。よく買えたな……!?

 


ウィナーズサークルに推しが姿を現す瞬間は何回立ち会っても血が沸騰するようである。これから何回あっても慣れることはないと思う。心の中ではもう「ぶっしー♡口取りして♡」のデコうちわをぶんぶん振っている。これからやるのだが。

 


皆で横に並んで記念撮影。顎マスクじゃあれか、といった感じのことを言って武士沢騎手が顎のマスクを外しながら笑ったのが聞こえた気がしたのだけれど、あれは幻聴だろうか……。あと、途中でオーロラアークが武士沢騎手に鼻先をごつんとして武士沢騎手が後ろにのけぞる場面もあって、観客含めて皆がにこにこと和やかで良い雰囲気の口取りだったように思う。

 


馬主さんと武士沢騎手に撫で撫でされるオーロラアーク。ウィナーズサークルに出てきてから武士沢騎手は何度かオーロラアークを撫でようとしていて、それを見るたびに胸がぎゅうっとなった。新馬戦から武士沢騎手が手綱を取ってきて、まだ掲示板を外したことがないオーロラアーク。おそらくこれからの成長もあるだろうし、昇級の次走がどうなるかは未知数だけれど、またこのコンビで勝つところを見られたらうれしい。

 


武士沢騎手おめでとうーーー!!