パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

1泊2日で旅行してきた

ということで、ちょうど自分の誕生日が金曜だったから有休を取り、金・土の1泊2日で定年退職祝い&自分への誕生日プレゼントとしてちょっと遠出をした。

ちょっとどころじゃあないんだわ。九州ぞ。

空港に降り立った率直な感想は「大分県って本当に来れるんだ……」だった。九州ってやっぱり遠いところというイメージがあって、小倉競馬場は行けても、その他の場所はいつか行けたらいいね、行けることあるのかな、と思っていた。母親も同じ感想だったようで、2人で「大分県来ちゃったね」と言い合っていた。そして夫は飛行機に酔ってダウンしていた。

これはパッケージに惹かれて購入した朝ご飯。えびかわいい。

 

いざ旅行に行くぞとなると行程詰め込みデッドオアアライブが恒例だった我が家だけれど、もう自分も母親も若くないし無理することはないと思い直して、のんびりまったりコースを組んでみた。

かねてから母親が見てみたいと言っていたのは磨崖仏。栃木県の大谷磨崖仏は見たことあったけれど、磨崖仏といったら大分県。それじゃ定年退職後にお祝いで旅行しようよ、と話していたもののコロナ禍と重なって計画は立ち消えになってしまっていた。そんなときにちょうどケーブルテレビで磨崖仏特集を目にして、調べてみたら行けなくはなさそうで、目的地のひとつは母親の足腰が丈夫なうちじゃないと無理そう……と色々な要因が重なって実行に移すことにした。

 

まずは川中不動。

どうやって彫ったのだろうか。大雨のたびに氾濫を繰り返す川の水害除け祈願のために彫られたらしい。こんな不動明王に睨まれたら川も大人しくなるだろうな、なんて。

国東半島について調べてみたら独特の山岳宗教文化が栄えた寺院群があり、その修行場でもあるらしい。川中不動の近くにある天念寺から見えたこの光景は無明橋といって、修行の難所だそう。おわかりいただけただろうか。

ヒエッ……。

 

途中で富貴寺にも参詣。本堂改修に際して、阿弥陀如来が安置されている大堂に勢至菩薩と観世音菩薩が移されていた。本来はこの三尊像で配置されるのだけれど、改修が終わったら勢至菩薩と観世音菩薩は本堂に戻るのだとか。そういった説明に自分の知識の無さから「そうなのか」としか思えなくて悔しかった。予習しておくべきだったなあ。

受付ですやすやお昼寝していたネコ。気持ち良さそう。

近くでお昼ごはん。だんご汁美味しかった。でも、感激したのは刺身こんにゃくに付けるお味噌。梅の風味がして美味しくてたまらなかった。これもどうぞ、と出してくれた梅干しも正統派な酸っぱさとしょっぱさで身体に染み渡った。皮がしっかりとしていたし、自家製だったのかもしれない。また食べたい。

 

そして1日目のメイン、熊野磨崖仏へ。

ケーブルテレビで見ていたから夫も自分も「テレビで見たことある!!」と月並みな感想を口にしてしまった。鬼が築いたという石段を100段ぐらい登っていったのだけれどもうバテバテだった。だからこそなのか、この2体が見えたときは感動した。左が不動明王で、右が大日如来。この不動明王は柔和な表情だと言われているが、川中不動の不動明王と比べるとたしかにそう見える。時間が許す限りここに居たいほど、ずっと見入ってしまう魅力があった。

石段。母親の足腰が丈夫なうちじゃないと無理そう、というのはここを登るから。夫も「来年の俺だったら無理だった」と言っていた。自分もそう思う。

≧[゚ ゚]≦

 

珍しく夕食・朝食付きの宿泊プランにした(一人旅だと素泊まりを選んでしまう)ので料理を堪能。刺身醤油が甘くて九州に来たのだという思いが強くなった。先付けから何からもう全部が美味しかった。幸せ。

チェックイン時に「お誕生日なんですね」と言われて照れくさかったのだが、デザートにHappy Birthdayと書かれたチョコプレートが添えられていた。あと金箔がのっているのも自分のデザートだけだった。母親のお祝いもあるのに自分だけで申し訳無いとは思いつつうれしくなってしまった。写真はチョコプレート食べた後。

 

食後は周辺を散策。さんふらわあの出港時刻だったようで、ちょうど沖に出ていくところを見ることができた。

九州といえば大砲ラーメン、とはいえさすがに自分は夕食後にラーメン食べられないから、夫を眺めながらビール。

 

2日目はあいにくの空模様のなか一路臼杵へ。道を間違えるわ、土砂降りだわ、稲妻は見えるわでてんやわんやだったけれども、まあこれはこれで楽しい(はず)。

身も蓋もない感想だが「本当に崖に彫られている……」と驚いてしまった。こんなに彫り出せるものなのかと思っていたら、ガイドの方が岩が柔らかいのだと解説してくれた。だから後ろまで立体的に彫ることができて、そのせいで古園石仏の仏頭は胴体から落ちてしまったのかもしれないそうだ(現在は修復されているが)。そう言われれば熊野磨崖仏はもっと平面的だったかもしれない。比べることができるとは思わなかったけれど、前日に行っておいて良かった。

こういうの好き。

 

2日目は帰りの飛行機との兼ね合いもあって、臼杵石仏だけしか見られなかった。行程組むのちょっと失敗したか。本当は別府観光もしたかったし、熊野磨崖仏や臼杵石仏以外の磨崖仏や寺社仏閣も巡ってみたかった。でも本当に見たかったものは見られたから良しとしたい。

最後に大分空港で食べた鶏天とりゅうきゅう。美味しかった。ビールとのセットにしておけばもっと美味しかったのかもしれない……。

 

そんなこんなで駆け足気味だった1泊2日の大分旅行。油断は禁物だけれど、こうしてまた誰かと遠くへ行けるようになりつつあって良かった。

 

女手一つで自分含めきょうだいを育ててくれて、成人後もやたら迷惑かけまくっているから、恩返しというにはまだまだ全然ほんっとうに足りないけれど、自己満足だとしても母親が行ってみたい、見てみたいと言っていた場所に連れて行くことができて、なんというか、ほっとした。

実家を出て暮らしていて顔を見るのはたまにだから余計にそう感じるのだろうけれど、自分の親も老いとは無関係ではないのだと会うたびに思わされる。正直それが怖い。この恐怖は親離れできていないからだろうか。自分が年を取るのと同じように毎日、毎年、それこそ毎分毎秒、親も年を取っていく。いずれ身体の自由が効かなくなるかもしれない。祖母と同じように物事がわからなくなる時がやってくるかもしれない。そう考えると、鳩尾がぎゅうっと握り潰されたような、足元にぽっかりと大きな真っ暗な穴が空いたような、黒い影がべったりと背中にはりついているような感覚に陥る。底無しの恐怖というべきか。わけもなく叫び出してしまいたくなる。

といっても怯えていては何の実りも無いから、自分は自分のできる限りで動いて、母親にこれまでの感謝を伝えていきたい。と言っても旅行に行くとか美味しいもの贈るとかそういう簡単なことしかできないのだけれど……。でも、「行ってみたいなあ」「見てみたいなあ」を「行けるよ」「見られるよ」に変えることやそれを実行に移せるようにすることも大事だろうから、まあこれはこれで親孝行のひとつの形ということで。

 

そして同じようなことをツイートでも言っていた。

これを見たのかは定かでないが(見ていないと信じたい)、大分から帰る途中で「次は富山行きたいな!」と母親が言っていた。よっしゃ任せろ!!