パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

2024/03/01 徒然

もうそろそろ観るべきじゃないのかと思って、レース映像を再生した。2018年3月3日の中山4Rの全周パトロール。フォーマイセルフが故障を発生した瞬間が映っている。わざわざ自分から観に行くこともない映像ではあるものの、なんとなく、いま観ないといけない気がした。

競馬にたらればはつきもので、だからこそ考えるだけ詮無いことのようにも思える。先日は後藤浩輝騎手の命日だった。色んな人が後藤騎手のことを思い、自分も思い出していた。そして連想ゲームのようにシゲルスダチのことも記憶のなかから浮かび上がってきた。シゲルスダチの最後のレースになった奥多摩ステークスで、彼の手綱をとったのは武士沢騎手。ここでもやはりたらればを考えてしまう。もし無事に走り切って後藤騎手とともに次のレースにも出走できていたら。あのレースで他の騎手が乗っていれば。当然ながら、現実にあるのは結果だけで、その答えはどこにも無い。誰も教えてくれないし、知るはずもない。

そういえば、と本棚から1冊取り出した。フォーマイセルフを管理していた小檜山悟調教師の著書『馬を巡る旅~旅路の果ての夢~』に「競走馬、戦場に散る」という節がある。2週続けて競走馬が予後不良になったのは小檜山厩舎が開業して以来初めてだとそこには書いてあった。

武士沢騎手にはこう告げた。

「ブシには悪いが、鞍上がお前で助かった。新人騎手に乗せていたら対処できなかっただろう。ともかく怪我がなくてよかった」

騎手は、常に救急車がついて回る事故と隣り合わせの職業だ。馬の事故はもちろん残念だが、人間に何かがあれば事態はさらに深刻にならざるをえない。

――小檜山 悟『馬を巡る旅~旅路の果ての夢~』(株式会社三才ブックス・2018年10月1日初版)

”2週続けて”のうちの1頭はフォーマイセルフだ。もし◯◯じゃなかったら、と考えてしまう自分にとって、さきの引用した部分はほんの少しの微かなものだが救いになった(1頭の命が消えているから”救い”というのは語弊があるかもしれないが……)

それにしても、今年は3月があっという間に来てしまった。きっと目にも止まらぬ速さで3月も去っていくのだろう。小檜山調教師は定年を迎え、この土日が厩舎最後の出走になる。寂しくなってしまう。

悔やんでも仕方無いことだが、もう少しだけでも早く競馬を知っていたらと思う。ベンチャーナインを観たかった。武士沢騎手が小檜山厩舎のベンチャーナインでプリンシパルSを勝って、日本ダービーに出走したところを観たかった。でも過去には戻れないから、時たまインターネット上で見つけたコラムや雑誌記事を探して読んでは当時に思いを馳せる。

 馬券をやっているうちに馬主になってみたいと思ったわけですが、初めて持った馬に、セプテンバーナインという名前をつけました。
 ベンチャーナインは、9しかない、9こそわがいのちと思いをこめたベンチャーナインです。京成杯で12番人気でクビ差の2着。弥生賞もフジテレビ賞も走ってくれて皐月賞のゲート。夢のなかにいました。
 ダービーのゲートにもいるんですよね。鞍上に武士沢騎手。久しぶりに会ったとき、本杉さんの最初の馬はセプテンバーナインという名前でしたねと言ってくれたジョッキーでした。その武士沢とベンチャーナインがダービーのゲートに。泣きそうになりましたよ。
 夢が続くんです。それを奇跡というんですかね。菊花賞も走る。8番人気でびっくり。6着でびっくり。京都競馬場の青空をしっかりと目に焼きつけました

――第260便 相良の人たち|2016年|烏森発牧場行き|JBISコラム|お楽しみ|JBISサーチ(JBIS-Search)

このコラムは折に触れて読み返している。「夢が続くんです。それを奇跡というんですかね。」無情な顔を見せることも多い競馬だけれど、夢や奇跡をはらんでいるのもまた間違いではない。現に自分はそれを経験として知っている。