パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

競馬と入籍と私

f:id:hrcoo75:20200913233733j:plain

こういう話題に合いそうな武士沢騎手の写真を探したら、2017年10月7日東京5Rのハローダーリンを撮っていたので載せてみる。

 

ということで、入籍した。

 

プロポーズを受けてからしばらくして、一旦冷静さを取り戻した頭に浮かんだのは「競馬、行けるの?」だった。

 

暮らしが変われば余暇もおのずと変わる。相手が元から競馬ファンならいざ知らず、出会った頃は「競馬の存在は知っているけれどやったことないしやるつもりもない」という感じだったから、今まで通りに行けるとはさすがに思わなかった。

ある程度行かない日もしくは行けない日が出てくるのも想定できたが、せめて武士沢騎手の重賞(GI騎乗なら尚更)は観に行けるだけは行きたい。

 

だからダメ元で思いきって聞いてみた。「私、結婚しても競馬続けたいんだけど、いい?」「武士沢騎手が重賞乗るときは可能な限り行きたいんだけど、行ってもいい?」答えは「いいんじゃないの。俺も趣味続けたいし」

 

競馬行っていいんだ。びっくりした。

それと同時に、他人と生きていくってこういうことなのかな、とも思った。

 

私は他人に合わせられない。他人の感情を汲み取ることもすごく苦手。2人以上居る空間はイヤだ。朝起きたら誰かがいるということすら抵抗感があった。他人と生活をともにすることには親の離婚やら何やらで良いイメージを持っていないし、結婚願望ももちろん無かった。ずっとひとりで生きて死ぬものだと思っていた。だからそういった自分と他人と対話を通して物事を決めていく努力(という表現は適切ではないが努力以外の言葉が出てこない)に対しての心構えがゼロだった。

 

自分の希望を伝えるのは好きじゃない……というか可能な限り避けたい。断られたらどうしよう、断られたときのあの嫌な感覚を味わいたくない、私の希望を伝えたときの相手の反応が怖いといった我が身可愛さが理由だからしょうもないが。

でも「自分はこうしたいんだけど、そっちはどう?」みたいなコミュニケーションを苦手だといって拒んでいたら話は進まない。「どっちでもいい」「あなたに合わせるよ」と言っていたいけれど、多分そうじゃない。恐らくきっと多分もしかしたらこれから長い付き合いになる可能性があるかもしれない相手だ。好きじゃなくても「私は」と自分を主語にして伝えてみて、それから考えるほうがいいのかもしれないと自分の姿勢を改める機会になった。

まあ、改めると言ったところで私はどうしたって私なので、亀の歩みのように少しだけだけど。今のところは。

 

いまだに理想の夫婦像が自分の頭で思い描けないし、私は自身の性格・特性が他人との共同生活に向いていないと思っているから、まだまだ不安は尽きない。

ただ、どんな形かはわからないけれど、友達だろうと何だろうとこの人と付き合いが続けばいいなと思っていたところの今回の事態なので、相手のこと、これからの生活、いろんなことを大事にしていきたい。コミュニケーションもとっていこう(と言いつつ結構な頻度で実行できていない)

まあ、無理せず、自分ができうる範囲で。

 

って、ここまで書いてふと思ったが、相手は私が武士沢騎手300勝メモリアルを追っていたときから付き合いがあるし(当時はわかっていなかったようだが)、毎週がんばれ馬券を買っていることやその成績、武士沢騎手の記事を収集していること、武士沢地名巡りをしたことも、だいぶ知っているからもうすでに競馬のことも織り込み済みだったのかもしれない。あと、気付けば毎週「三浦さんのがんばれ買っといて」とか「3連複の5頭ボックス買う」とか「江田照男田辺裕信吉田豊は爆発三銃士」とか言っているな? これはもしや……?

 

まあ、先のことを案じていたってなるようにしかならないし、人は変化するので、程々にゆるゆると素直な心で付き合っていきましょ。

 

で、できるだけ、ね……(予防線)

 

前回の記事で特に気にせず「結婚を機に」と書いたのだけれど、それを見つけてくださったのでしょう。ツイッターでリプライをくださった皆さまありがとうございます。

※2020年9月20日追記:ペイシャフェスタ武士沢騎手が勝ったときのツイートでもリプライくださってありがとうございます。受け取ったぜ推しからのご祝儀!