パンだ

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武士沢をゆく

2024年3月17日 追記しました(番外編その2)

 

聖地巡礼。宗教的な意味合いのほか、昨今では映画やアニメなどのファンが縁のある地を実際に訪問することもそう呼ばれている。「縁のある地」――武士沢騎手のファンなら一度はやってみたい聖地巡礼といえば、そう、全国「武士沢」地名巡り。推しと同じ名の土地、行ってみたくない? 今回は2015年から2018年にかけて行なった私の聖地巡礼の記録をささやかながら残しておく。

※全国にある「武士沢」という地名と騎手本人との間にどんな縁があるのかは不明。

 

 

武士沢という地

2007年5月8日の河北新報『とうほく 地名の泉』で青森県三戸町の武士沢は「トリカブト採取する沢」と紹介されている。地名は漢方薬の附子=トリカブトからではないか、という。また、寛政年間の史料には「斗内村支村十四軒毒沢」と記されていたが、明治年間の史料には「斗内村の小字として武士沢」とあるらしい。同記事ではこの違いについて「明治の初めころに「毒沢」を忌み嫌い「武士沢」に変えたのだろう」と書いている(別の資料では、享和3年の仮名付帳では「毒沢一〇」、明治初年の新撰陸奥国誌では「毒沢一七」とあるみたいなので、武士沢はかつて毒沢であったのだろうと思うが、いつ頃に今の武士沢になったのかは今後の課題とする)

 

また、三戸町史の「三戸の伝説と民話」の章では、同じ三戸町内の貝守の「毒久保(ルビ:ぶしくぼ)」という場所に伝わる話を取り上げているが、ここにも「昔、毒矢に使用した付子(とりかぶとの根からとった毒)」と、トリカブトに関する記載があり、それが入った壺が出土したことで「毒久保というようになった」とある。

町内の遺跡を紹介する別項に「武士沢遺跡」があるが、ここでも「毒(ブス――トリカブト採集地)沢ともいう」とあるので、武士沢という地名は侍や武者の「武士」ではなく「毒」に由来するのだろう。

 

と、前置きはここまでにして。

 

 

2015年7月19日(日)

宮城県伊具郡丸森町武士沢

 

全国「武士沢」地名巡り1回目は宮城県伊具郡丸森町へ。前日は福島競馬場に行き、そのまま角田市に移動(某さんその節はお世話になりました)丸森町武士沢に行くには阿武隈急行丸森駅が最寄りみたいだけれど、当時は宿泊施設が見つからなかったので一番近そうな角田駅周辺のホテルで1泊。

 

翌日、始発で丸森駅に向かう。Twilogでその日のツイートを見てみると、5:44角田駅、6:04丸森駅という行程だった。

丸森駅から武士沢までの交通手段はレンタサイクル。丸森駅で無料のレンタサイクルがあるので、駅員さんに声を掛けて借りようとした……が。普通に借りられたのだが。始発で丸森駅に着いてレンタサイクルを借りようとする人に困惑する駅員さん。発したのは「今日中に帰ってきますか……?」もしかして何かを心配されてらっしゃる。心の中で単なる武士ヲタですアピールをして、実際にはコミュ障発揮してどもりながらの大丈夫アピールで、いざ出発。

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6:55、丸森大橋を望む

丸森駅から阿武隈川を渡り、齋理屋敷、伊具高等学校を経て、ひたすら上り坂を漕ぐこと約40分。丸森町武士沢に佇むバス停「武士沢」に着いた頃はもう汗だくだった。

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丸森駅から武士沢までのアップダウン

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チャリで来た

記念写真を撮って、帰りはシャーッと坂を下って約5分でふもとに到着。私の行きのあの苦行は何だったのだろう。あと、ここ5年でレンタサイクルに電動自転車が登場したのかな? 今度行くときは絶対電動自転車借りる。

 

その後はきちんと丸森駅にレンタサイクルを返却して、中京競馬場でその日1鞍入魂だった武士沢騎手(ナリタポセイドンに騎乗)の2着を見届けて、翌日のマーキュリーCのため盛岡駅まで移動。

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1着サウンドトゥルー、2着ナリタポセイドン

 

 

2015年9月21日

アリオンダンスという競走馬を覚えているだろうか。11番人気で1着になり、単勝6,180円だったあのレース、今の騎手名鑑で武士沢騎手が顔写真に使用しているあのレース。武士沢騎手が勝ったというのに、私は東北自動車道を北上していたあのレース!

ということで全国「武士沢」地名巡り2回目は福島県内を巡ることにした。

 

福島県に「武士沢」は4ヶ所、「ブシ沢」は1ヶ所存在する。当時、出発前に「ブシ沢」の存在を知らなかったため、この日は「武士沢」の4ヶ所を巡った。

特に書くこともなく、行程の7割ぐらいはただの道を移動(残り3割は山道)なので、写真を載せることにする。

 

福島県伊達郡国見町大木戸武士沢付近

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たぶんこの奥だけれどさすがに怖くて行けなかった

 

 

福島県伊達市保原町柱田武士沢

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「沢」が付く地名だけあって水がある

 

この辺り、走る車の助手席から窓の外を何ともなく眺めていると、電柱に何かを見つけた。どうしても気になったので引き返してもらって、とりあえず写真に収める。

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武士沢線とは

当時は何を示すものか分からなかったけれど、いまググってみると東北電力の電柱番号だとか。Google Mapのストリートビューでも見られますね。あと、伊達市の管理橋梁一覧表PDFが同じくググったところ出てきたから見てみると、「武士沢1号線」なる道路があると。ここのことなのかな。

 

 

福島県郡山市三穂田町富岡武士沢

 

ここはアルパカ牧場があるよ!

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アルパカ

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ミニチュアホースもいるよ

 

 

福島県伊達郡川俣町西福沢武士沢付近

 

3ヶ所巡って「よしこれで福島県内の武士沢は全部巡ったなーってもう1ヶ所あります忘れてました」となって母親の華麗なドライブテクでなんとか日が完全に落ちる前に辿り着いた福島県内「武士沢」最後の1ヶ所。頭が上がりません。

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夕暮れはきれいだった

 

 

2015年11月21日~11月23日

全国「武士沢」地名巡り3回目は北東北。秋田県青森県に行くため、まずは羽田空港から大館能代空港へ。

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この旅を一言でまとめるとコレ@羽田空港

 

秋田県北秋田市脇神武士沢

 

大館能代空港でレンタカーに乗り、すぐ近くの秋田県北秋田市脇神武士沢に到達。

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沢というより川

脇神武士沢を堪能したら鷹ノ巣駅に移動し、奥羽本線で青森入りして大鰐温泉で1泊。翌日弘前駅に行ってレンタカーに乗り換えて弘前観光(弘前城を見るだけ)の後、次なる武士沢へ。

 

 

青森県南津軽郡大鰐町八幡館武士沢

大鰐の武士沢は途中まで車で進んでいって、その後は自分だけ降りて徒歩で武士沢まで近付いていったのだけれど、道路のぬかるみに何か獣の足跡らしきものを見つけて「何かわからないけど怖すぎる」とすぐさま引き返して移動した記憶。場所はちょっと離れていたけれども、翌年にクマ獣害事件のニュースを見たときはぞっとした。

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これ以上行ったらヤバいな、と思った

 

この段階で地名「武士沢」は残すところあと1ヶ所のみ、しかも武士沢発祥の地らしい三戸町斗内武士沢だけ。工藤パンイギリストーストで腹ごしらえをしつつ、鹿角街道(三戸鹿角街道)をひた走る。道半ばで日没を迎えたり、途中で雪降ってきたり、ハラハラしながらの峠越えだったけれど、三戸駅(といっても所在地は南部町)近くの旅館に安着。

北東北最終日はいよいよ三戸町斗内武士沢へ。

 

 

青森県三戸郡三戸町斗内武士沢

斗内武士沢に向かう朝、びっくりしたのは雪。11月なのに雪が降っているというのは埼玉県民からしたら信じられなかった。

 

高鳴る心臓を宥めながら斗内武士沢に到着した聖地巡礼のピークを迎えたヲタク、三戸町コミュニティバスの「武士沢集会所」バス停を撮ったり、深呼吸したり、武士澤橋や武士沢地区の看板を撮ったり、深呼吸したり、色々不審な行動を取ってしまう。

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降車ボタンを押したいバス停第1位である

角川日本地名大辞典三戸町内を流れる熊原川に「武士澤橋」が架かっていると書かれていたのだけれど、やっぱりその場に行って武士澤橋が架かっているのを見ると感動した。推しと同じ名の橋は実在した。

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武士沢騎手のサインと記念撮影

いやー、良いねえ、聖地巡礼ってのは……!

なお、この時にどえらいボーナスステージもあったけれどそれは割愛。

 

達成感に包まれたヲタクは、満たされた心を抱えて三戸町図書館へ移動。そして広報さんのへ掲載の武士沢100万円寄付記事を複写し、三戸城に行き、八戸の八食センターで海産物を焼き、二戸駅で帰途につきました。

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講演もいつか実現してほしい

 

後ろ髪を引かれる思いで三戸町から離れたこの時はのちに何度も三戸町に訪れることになるとは思わなかった。寒立馬の尻屋崎観光の経由地として来たり、もういっそ働くかと転職の面接受けに来たり、人間どんな行動を起こすか分からないものだ。面接は落ちた。

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面接日のシャモロックかけめし丼定食@道の駅さんのへ

 

……と、ざっくりとしているけれど、これが私の聖地巡礼・全国「武士沢」地名巡りの記録。

もうちょっとちゃんと「武士沢」とか地名の成り立ちについて調べてから行けば良かったかもしれないと当時は思っていたけれど、行けるときに行っておかないと、ましてやこんな意味が分からない行程とかは特にノリと勢いがあるうちに実行しないと何だかんだでやらないものだから、これはこれで良かったのだと思うことにしている。

 

気になる場所にはとりあえず行ってみるのが一番!

 

 

 

番外編

2017年05月03日~5月5日

全国にある武士沢地名はすべて行った! と思うと出てくる出てくる武士沢のあれこれ。で、再度北へ向かうことに。GW真っ只中で新幹線予約もしていなかったけれど座れることを願い、東京駅から東北新幹線に乗車。

まずは新花巻駅で下車し、レンタカーにて毒沢城跡に行く。ちなみに読み方は「どくさわ」で、武士沢と関係無いようにも思うが一応。毒沢城跡までは駐車場っぽい場所から遊歩道を0.5km進んだが、全然歩道じゃなかった。山菜採りの女性も居た。

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見晴らしが良い毒沢城跡

 

お次は岩手県花巻市大迫町内川目の武士の沢バス停。岩手県交通早池峰線が通っていたところ。

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早池峰線は2018年12月29日運行終了とのこと

これで秋山ブシ沢というドキッ13期だらけの川俣町を残すのみ(たぶん)。

 

 

2018年09月08日

福島県伊達郡川俣町秋山ブシ沢を目指して、ふたたび東北道をひた走る。途中、鏡石町のナストロに寄って食事をし、目的地へ。

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美味しいサラダと美味しいピザ

 着いた。

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正確(?)には大字秋山、字ブシ沢らしい

帰り道は秋山ブシ沢でUターンせずに霊山松川線を北上し、接続する国道115号を通って福島競馬場に寄り道。ここまで来たならと凍天を食べて帰路についた。

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秋山ブシ沢といえば西のガノタ・東のガノタ

 

全国「武士沢」地名巡り、一旦ここまで。

 

 

 

番外編その2

2024年3月17日(日)

武士沢騎手の引退が公表された翌々日、私は衝動的に電話をかけていた。とあるテレビ番組で、武士沢騎手と親御さんが連名で奉納したと思われる神前幕がちらっと映り込んだ(というのをDMで教えていただいた)(ありがとうございます)お堂に私もお参りしようという思いが浮かんでいた。しかし今の御時世でなおインターネットで検索してもあまり情報は出てこず、県外からふらりと行って参拝できるのか? そこまでの移動手段はどうすればいいのか? が不確かで、地元の方の力を借りるしかないと三戸町観光協会さんに電話で問い合わせたのだった――。

とか何とか。観光協会さんでも分からないから教えてもらった相手先に何件か電話して……という経緯はあるのだけれど、その詳細は省くことにする。

雪がまだまだ残っている未舗装の山道を四輪駆動のタクシーでぐねぐね登っていった先にそのお堂は建っていた。管理をしている方に扉を開けてもらってお参り。堂内には色んな時代の奉納品があり、その中に武士沢騎手が奉納した神前幕もあった。

管理している方に写真を撮ってもいいか訊いてみたらOKだったので撮影させてもらった。左端の日付は平成14年9月。広報さんのへに掲載された三戸町ふるさと応援大使としての武士沢騎手のメッセージだと、三戸町に帰れたことも数える程度しかありません、とある。2002年……何かあったのか、それとも札幌競馬場で騎乗していたようだから、何かのついでに三戸町に寄ったのだろうか。気になる。

色々お話を伺ったり龍神様(の石?)を持ち上げてみたりと濃厚な時間を過ごさせてもらっておいとまし、行きに通った道を下っていく。正直言うとめちゃくちゃ怖かった。でもタクシーの運転手さんは慣れているようで、路面に凍った雪が残っていたり道路にせり出した枝にぶつかったりする度に息を呑んでいるのを余裕そうに笑っていた。ちょっと安心した。

以上、「武士沢」地名巡りとはちょっと違うけれど番外編ということで追記しておく。

最後に道の駅さんのへに貼ってあって思わず駆け寄ってしまったものを載せる。

武士沢騎手貼ってくれや。