パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

逃げ馬は他馬を追う必要があるか

ウマ娘、私は好きでもなければ嫌いでもない立場だ。何故か。関心を持てなかったから。興味・関心が湧かないものに意識を割くのは時間とエネルギーの無駄だ。"競馬ファンとして"この姿勢が正しいか正しくないかは人それぞれの判断によるところだが、「はあ、そういうものがあるのね」という感じだった。埼玉には十万石まんじゅうがあります、はあ、そういうものがあるのね。そんな感じ。また、関心が持てなかったことに加えて、私の"範囲"には関係が無いものだと思っていた。

 

逃げ馬2頭の名前と、その競走馬に乗っていた騎手の名前を含むツイートを目にするまでは。逃げを身上とした競走馬を、かつての逃げ馬に合わせ「○○」になる可能性があったと、そしてそれを鞍上に問いかける形で締めくくっている。

私は当初これを「後続を大きく離すような逃げ方をしていればツインターボのような成績を残せていたのに」という戦法に対する嘆きだと思っていた。その競走馬の手綱をとった騎手の名前を出すぐらいだ、戦犯は鞍上だと言いたいかのような口ぶりに思えた。だが、ウマ娘ハッシュタグがついている。ツインターボが実装されたというツイートも目にした。どうも腑に落ちない。モヤッとした気持ちが身体の奥底に横たわる。「これどういう意味なの、解説して」と周囲に答えを求めた私は、それまで思いもしなかった思考回路の可能性を眼前に示されることになる。「ツインターボのようにウマ娘として採用されたかもしれないのに」

 

なるほど。誰が言ったかこんなフレーズが頭をよぎる。「よろしい、ならば戦争だ」

 

HELLSINGは未読なので用法についてはツッコまないでもらいたい。加えて最初に謝っておくが、私はラップ云々について詳しくない。申し訳無い。

さて、かの競走馬は大逃げを選んだとして、はたしてこの成績を残せたであろうか。枠の兼ね合いや相手関係も関わるため一概に言えないが、私個人の意見で言えばNOである。府中ステークスで「あー、そうか」と思ったことが根拠なので、数値でも理論でもなく感覚による判断で恥ずかしい話ではあるが。ツイート主は逃げ馬としてかの競走馬の名前を挙げたということは、まったく競馬を知らない・疎いわけでもないだろう。推測だが、元から競馬を観ていて、その流れでウマ娘も始めたのではないだろうか。そういう人物が、かの競走馬の名前を挙げられるだけ競馬を観てきた人間が、あのような発言をする。感情を前面に押し出してしまうが、悲しくて仕方なかった。ウマ娘から競馬にふれるようになったならまだしも、そうではないと思われる人間の発言であるということがやるせなかった。あのツイート主はかの競走馬をその競走馬自身として観ていたのだろうか。それともウマ娘の"原作"候補だろうか。人によって競走馬は博打のコマにすぎないかもしれない。しかし、ウマ娘に個々の魅力があるように、競走馬にも個性はある。夢見がちな願望混じりのことを言えば、その個性を最大限に厩舎関係者は伸ばし、騎手はその個性を最大に活かせるようにベストを尽くした騎乗をして、その時その時の最善のパフォーマンスでレースは行なわれるのだと思う。なんていうのは生っちょろい戯言だが、それでも福島記念小倉大賞典関屋記念はかの競走馬が持つ個性を活かして掴んだ重賞勝利だと私は思っている。もちろん新馬戦も、有馬記念も、中山記念も、……たぶん七夕賞も(その個性が結果マイナスの方向に出たが)、そうであったと思う。それを、だ。ウマ娘に現時点では採用されていないことを見て、「もう少し○○していれば」だと言うのか。言えるのか。言えてしまうようになるのか。

 

かの競走馬は彼なりの逃げ方で手綱をとった騎手とともに勝利を掴んだのに、似たような戦法をとる他の競走馬――ウマ娘に採用された逃げ馬を引き合いに出されるとは。ウマ娘というモチーフが現出した今、それに採用されることを一種のステータスとする思考回路を持つ人間も現れることを、私の呑気な頭は考えに入れていなかった。

 

思考回路。現時点ではまったくの杞憂だと思いたいが、いつか「でもその馬はウマ娘になってないんでしょ(笑)」という発言を目にしてしまうかもしれない。私が応援している競走馬の彼も彼女もいわゆる名馬の座に辿り着くには果てしない道のりで、もしかしたら競走馬の生をまっとうしても叶わないかもしれない。まあ、そういうことを言うようなタイプの人間には彼・彼女らは視界に入ってすらいないかもしれないが……それでもどの競走馬に対してもそういう考え方をするのは私は許せない。いや、許せないだとニュアンスが違う、もっと感情的だが、気に食わないと言うほうが正しいか。

 

マルターズアポジーツインターボになる必要があるか?

ウマ娘、好きでもなければ嫌いでもない立場だが、ほんのちょっとのきっかけひとつで変わってしまいそうだ。

 

 

 

最後に。舌の根も乾かぬうちにと呆れられそうだが、私はウマ娘を否定することも、芸能人を起用したJRAのCMを馬鹿にすることも、UMAJO SPOTをはじめとしたUMAJO向けコンテンツを嘲笑うことも、好きではない。私自身がCLUB KEIBA(たしか2010年頃)のCMきっかけで競馬を知り、今こうやって日々を楽しく過ごしているから、かつてそのきっかけを好意的に思われていないことを知ったときはとても悲しかった。私の場合、行き着いた先は武士沢友治騎手で、武士沢騎手の応援を続けているうちに色んなことを経験した。色んな「初めて」、色んな「悲喜こもごも」、特に"財布の底をはたいて「自分」を買う"なんて私の人生において競馬に出会わなければそんな機会巡ってこなかったであろう。馬券を買うあのひりつく感覚は容易く忘れられるものではないと思う。これから先きっと誰かが私と同じように競馬という沼にずぶずぶハマっていく。そのとき、自身が競馬を知ったきっかけがどのように受け入れられていたかを知って、悲しくなることがなければいいと願っている。