パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

映画『メタモルフォーゼの縁側』を観て思ったこと(感想という名の自分語り)

感情がたしかに動かされたのにここまで自分のなかにむくむくと湧き上がったものを言葉にできないとは思わなかった。映画『メタモルフォーゼの縁側』を観た数日後に、同じ映画を観た方と感想を言い合える機会を得たにもかかわらず、自分のなかのものを何にもどうにもうまく言葉にできなかったことに、自分でショックを受けてしまった。映画は良かった。うららの表情も、雪さんの佇まいも、良かった。ひとりとひとりが紡ぐひとりの物語だった。原作とは少し異なるかもしれないけれど、人生の中でたしかにあった好きを好きでいたある時間を丁寧に描いていたと思う。

自分は雑誌連載を追うほどではないが、ボーイズラブを好むほうだ。最新巻が出ればどんな展開になっているだろうかと、初めて読む作家さんやレーベルなら話自体はもとよりどんな色をしているのだろうかと、シュリンク包装もそこら辺にほっぽったまま読みふけって、それまでの既刊を読み返し、好きなシーンを反芻し……という経験はあるし、今でもままある(まあこれは世間一般的な経験だと思うが)。だから髪をタオルでおざなりに拭いただけで漫画を手に取るうららに共感を覚えたし、好きだとそうなるよね、と胸がぎゅうっとなった。翌日のぼさぼさな髪にもキュンとした。同時にボーイズラブを読み始めた頃は今ほど映画やドラマなど大衆の目にふれるようなジャンルではなく、オープンに明かせる趣味ではなかったように記憶しているから、喫茶店で周囲の目を気にしたり漫画を隠す気持ちもわかった。だからこそ、最初のほうの書店内のシーンで、漫画の話をしたかったと雪さんの言葉を受けたうららの表情に心臓を鷲掴みにされたわけだが。

そういう自分のこれまでがあるからか、映画『メタモルフォーゼの縁側』は推し活のことが浮かばなくて、自分の推しを思うこともなかった。頭の片隅にあったのは、ボーイズラブの漫画や小説を読んでいた頃のことや、コミティアではないけれど春コミやスパコミ当日の深夜2時ぐらいにコンビニのコピー機でひたすらコピーして居間でホチキス留めをしたこと、その前にWordとにらめっこしながら「これを本にして売るのか?」「というか本になるのか?」と髪をかきむしってもんどり打ったことなど。推し活は、感想90分一本勝負に声をかけてくださった方がそれに言及してハッとしたぐらいだった。「自分の推しのことは思い浮かばなかったのか?」と。自分はボーイズラブが好きな人の目線で観たけれど、今回はそれがきっかけになっただけで別にボーイズラブじゃなくても好きを心に抱いている人のことでもあるのか。

様々な意見があるのは承知しているが、やっぱり好きを心に抱えていると単調な日々でも気持ちが持ち上がるときがあるし、毎日のくらしの支えにもなると個人的には思う。好きに寄りかかること(というよりも拠り所をひとつに限定してしまうこと)を全面的には是としない風潮にもなりつつあるのは感じてきているし、たしかに依存したり縋ったりという思いの強弱には賛否両論あるだろうが。そしてこう思っていることを書き記しているが、好きが無いことを否定したり「好きなもの見つけたほうがいいよ」と勧めるつもりも無い。それは人それぞれであって、よそはよそ、うちはうちというものだ。それを踏まえた上で、好きは力になると思う。声をかけること。一歩踏み出すこと。躊躇いを乗り越えること。後悔をいつか糧に変えること。今の自分からそうじゃない自分に変わること。そういうことたちの力であれと願う。

そうすると、映画『メタモルフォーゼの縁側』と、自分の推しである武士沢友治騎手をこれまで追っかけてきたいわゆる推し活と重なる部分も多々あるのかもしれない。新刊のシュリンク包装を外すときと同じように今週の騎乗馬一覧をクリックするときはドキドキするし、ページをめくってその先の展開に胸がざわめくように、レースの展開にも胸はざわめく。武士沢友治騎手を好きだと言い続けてきて知り合えた方も少なくない。同担拒否ではないけれどどこかが武士沢騎手のことで盛り上がっていたら楽しそうだなあと思うし(ずるい、と思えず傍観してしまうところがもどかしいが)、京急蒲田から池袋まで駆け抜けるように東京競馬場から小倉競馬場へと飛ぶこともあるし、サイン会の後のようにウィナーズサークルの後はテンションが上がってしまう。こういう自分の行動に移せてきたのは好きが原動力になっていて、うららと雪さんのような物語ではないけれど、青春だったかと問われればそうだと答えるし、どうせとかでもとかだってが先立っていた自分から大なり小なり変わることができたと思う。

あと、映画では雪さんはもとより、紡も誰も否定的な姿勢をとっていなかったのは救いだと感じた。うらら自身が、同級生の英莉が世界一初恋(違っていたらごめんなさい)などを会計するときや、冒頭の喫茶店のシーンでボーイズラブを好む自分を隠すあたりが否定的といえば否定的かもしれないが……。あと流行りだというのがからかい半分かな? 現実はこんなに優しくなんかないとはいえ、物語の中だけでも好きを否定しないのは心のやわこい部分が守られたようだった。願わくば現実でもうららや雪さん、咲良くんや佑真くんが抱いている好きを大事にしていける世の中であってほしい。

もっと言葉にしたい思いはあるけれど、ここまできてもやっぱりうまく言い表せない。感動した、というのとはまた違うけれど、感情を動かされた映画だった。