パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

推しのマスク姿の思い出

数年前まで考えられなかった光景といえば、推しのマスク姿である。推しの職業は騎手だ。競馬場のパドックやレースコースで、勝てばウィナーズサークルで、時としてインタビュー記事や会見映像でその姿を拝むことができるが、コロナ禍以前は当然のようにそういう時はマスクをしていなかった。騎手でも花粉症だったり人によってはマスクをしていたかもしれないが、自分の記憶を辿っていっても、公の場で自分の推しである騎手のマスク姿は見た覚えがない。

ということを、先日のウィナーズサークルで撮影した写真を見返しながら思っていた。それと同時に思い出すこともあった。もう5年以上経つから時効だろうか。一度だけ、見たことがあるのだ。推しのマスク姿。

当時は心臓が口から飛び出て破裂した気がするほど驚いた。でも、いま思えば推しを現地観戦するために土日で競馬場間を移動すれば自ずと似たようなルートを辿ることになるから公共交通機関でのニアミスは「それはそう」という感じで納得できる。そう、公共交通機関でばったりと遭遇した。詳細は省くが、待合室で椅子に座って一息つき、何気なく周りを見回したら推しが後ろの席に居た。人は自分の思いもよらない展開にぽんと放り込まれたらどうなるか。自分はその時まで知らなかった。キャー! とか言わない。言えない。自分の場合だが、「えっ」と声が出て指を差してしまった。顔を上げる推し。目が合った(気がした)。

そして、逃げた。誰が。自分が。

その時は自分ひとりではなく、同行者も居たから正確に言えば2人でその場を離れて近くのお土産物屋さんに隠れるように逃げ込んだ。そこでSuicaでお茶を買ったのだけれど、同行者からSuicaを取り出した手が震えていることを指摘される始末。しかしああいう場面で「ファンです!」とか「応援してます!」とか伝えられる人ははたして居るのだろうか。いま同じことになっても、自分はできないなと思う。自分が小心者やビビりというのもあるが、競馬場から競馬場に移動する最中であれば自分からしたら推しは仕事中だと思うし、行きしな帰りしなであればプライベートの時間だという感覚だ。仕事中でもプライベートでも、どちらにしても邪魔されたくないだろうし、話しかけられたくもないだろう。ということでそーっと席に戻ると推しはマスクをしていた。そりゃいかにもなヲタクに指差されたらマスクも付けたくなるわ。そうして自分は初めて推しのマスク姿を目にしたのである。

どうして指差してしまったのだろうか、平静を装えなくて失敗したな、悪いことしてしまったな、と今でも頭を抱えてしまうし、すべての責を負ってここで腹を切りますと諸肌を脱ぎたくなってしまう思い出だ。これを機に、こんなこともあったと良い思い出に昇華させたい。いや決して悪い記憶ではないのだが、自分の失態が恥ずかしくて身悶えてしまう。あと、このときの同行者の方に自分はたくさんの恩があるのだが、良くない形で縁が切れて恩を仇で返してしまった申し訳無さも同時に沸き起こってしまう。

そんなこんなでこの話はここで終わり。この数ヶ月後に公共交通機関でのニアミスはもう一度だけあるのだけれど、チェックインぴっぴっやってて横向いたら推しがぴっぴっやってて心臓パンってしたのはまた別のお話。