パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!

なんつう声援飛ばしてくれてんだ、と私の目頭は熱くなった。

もちろん悪い意味じゃない。でもいつもの日曜日みたいに、特に泣いてしまうこともなく、ただちょっと寂しいな、と終わるはずだったのに、誰かわからない方の大声でその目論見は消えた。ぎゅうっと胸が締め付けられる。そうだ、最後、なのだ。

迫って5番キーチズカンパニー武士沢友治は後ろから4頭目、と実況が流れたように、武士沢友治騎手の騎手生活最後のレースは後方からの競馬になった。らしいと言えばらしいレースだと思いながら、それでも一縷の望みをかけて行く末を見守っていた。スタンドのあちこちから武士沢騎手への声援が飛び交うなか、私の涙腺を刺激した声があった。「武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!」声の主はわからず、きっとその方も反射で出てきたのだと思うけれど、こんなにも気持ちを揺さぶる声があっただろうか。文字にしたら乱暴かもしれないが、あの場でこの声が聞こえた人には胸を打つものが込められていたと思う。

 

武士沢騎手が先週水曜日に引退を公表し、翌日の木曜16時には出馬表が掲載されてラストウィークの乗鞍がわかり、土曜・日曜と無事に全鞍ゴールまで到達して、日曜日の最終レース後に引退セレモニーがあり、そしてまた木曜16時に出馬表がJRAのホームページに掲載された。1週間あっという間だった。今週掲載された出馬表には当然ながら武士沢騎手の名前は無かった。騎手名鑑にも名前は無くなっていて、引退騎手名鑑のほうに2024年3月10日引退という文字とともに名前が載っていた。寂しい。

約15年間、ときどきサボったり、ときどき入れ込んだり、その波に強弱はありながらも武士沢騎手がいる競馬は生活の一部になっていた。いま私は32歳だから、約15年というのは生きてきたなかのおよそ半分。それが無くなったのだから寂しいのは仕方無い。でももっと腑抜けるかと思った。普通に生活はできている。ただどこかまだぽっかりと空いた穴が自分の中に居座っている。これはしつこいやつだな、と漠然と思う。

 

何を書けばいいのか、書きたいのか。正直わかっていないまま、でも何かを吐き出したくて、いまここにいる。

 

そうだ、花束。

武士沢騎手の引退がわかってから、今日まで応援し続けることができた感謝の思いを形にして伝えたくて、安直ながら花束を渡したいと考えていた。そうとなったらどんな花束にするか。宝塚歌劇団の退団ブーケや、福永祐一調教師の騎手引退セレモニーで素敵なブーケを手掛けた らんすいえん さんが一瞬頭をよぎったけれど、時間的にも場所的にも難しいだろうと諦めた。そして無茶を承知で近場のお花屋さんにお願いすることにした。言葉でうまく伝わるか心配だったから、仕事中に思い浮かんだイメージを急いで手帳に書き留めたものを店員さんに見てもらった。

馬名は後日追記したものだけれど、左の殴り書きが右の花束になるのだからお花屋さんってすごい。最初はうまく伝えられなくて紫&白・赤&白・水色&赤の計6本のお花を1つにまとめると勘違いさせてしまったのだけれど……。引退するスポーツ選手に花束を渡したい(いま思えば"騎手"でも伝わったか)、ユニフォームをイメージした色合いの3つのブーケを1つにまとめる感じにしたい(勝負服でも以下略)、最後だから華やかにしたい(これは小桧山調教師の写真を見せたら伝わった)等々、多くの抽象的な注文を聞いて、丁寧にすり合わせていってくださって本当に有り難かった。周りは白いカスミ草を散らすか、葉っぱなどの緑を添えるかの2択で迷ったのだけれど、出来上がった花束を見たら緑を添えるほうを選んで良かったな、と思えた。トウショウナイトも、アルコセニョーラも、マルターズアポジーも芝で勝ったから。

当日は朝からウィナーズサークルで待っているファンの方々が多くて、本当に花束を渡せるかどうか気が気じゃなかったけれど、色んな方のお力添えや後押しがあって無事に手渡すことができて、うれしいのとホッとしたのとが綯い交ぜになっていた。

 

過去の私へ。花束を用意しても武士沢騎手に渡す機会が無くて結局持ち帰ることが何回かあると思うけれど、数年後にはようやく花束渡せているから安心しな。最後の最後、というときだけれど。

 

さきにも書いたけれど、武士沢騎手を応援している間に色んな方にお会いすることができて、たくさんお力も貸してくださって、どうお礼を伝えたらいいのか。中には恩を仇で返した方も、不義理をしてしまった方も居る。今さら詫びても遅いけれど。手助け無しでは辿り着けなかったところもあった。

引退がわかってから武士沢騎手のこれまでとともに、自分自身のことも振り返ることが多かった。SNSでは好き勝手言っていて、どんな応援幕を出しているかもわかる内容を発していて。今は中央競馬パドックに応援幕は掲出されていないけれど、かつては応援幕が並び、何とはなしに競馬場ですれ違う人の中でも「あの応援幕を出している人だ」とわかることもあった。対象がそうでなくても、ファンの人たちがあまりよろしくなくて、その対象までどことなく良いイメージが持てないということも十分有り得るなかで、私はどうだっただろうか。良いファンでいられただろうか……というのは無理な話かな。好き勝手な言動をしているからきっと「武士沢……、ああ、あのパンダのアイコンのヤツ嫌いなんだよなあ」と思わせてしまった人もいるだろう。

 

それにしても中山競馬場パドック沈丁花を植えたのは憎い演出だと思う。スタンドから馬頭観音側を通ってパドックに向かう道すがら、ふわっと鼻をかすめる甘い香り。また来年、競馬場じゃない場所だったとしても沈丁花の香りがすることに気付いたら、私はこの日のことを思い出すかもしれない。