パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

2023/03/05 徒然

昨日、福永祐一騎手の引退式が阪神競馬場で行なわれた。その日のメインレースで福永騎手が誘導馬に騎乗するのを私は数日前にTwitterで知った。色んな企画が次から次に出てくるなあ、と思いながら、自分が応援している騎手が引退する日のことを考えずにはいられなかった。彼は福永騎手のJRA最終騎乗後インタビューのときに参列していて、福永騎手と握手もしたし、退場したあと地下馬道で福永騎手に会釈していた。でも彼は、きっと、こんな華々しい場が用意された引退はしないだろう。花束を渡されて、インタビューがあって、胴上げはあるかもしれない、けれど多分それくらいだろう。彼はGⅠを勝てていなくて、年間24勝が今のところのキャリアハイで、ここ数年の年間勝利数は1桁だ。ファンがいくら応援していようとも、それと引退時のあれこれとはおそらく関係無いはずだ。でも、こんなことを考えながら私は「いずれ来る日のことを考えていられるだけ、」とも思った。そしてこの後に続く適した言葉が出てこなかった。考えていられるだけ幸せ、考えていられるだけまだマシ、考えていられるだけ恵まれている――それっぽい言葉は出てくるけれど、どれも間違っている。私はそう感じた。間違っているのだ。どれも誤りだ。これが2月28日でなければこういった思いは浮かばなかったのかもしれないが、毎年2月も終わりの頃に差しかかると後藤浩輝騎手のことを思わずにはいられず、突然引かれた幕に向けてどんな言葉をかけたらいいのか未だに自分の中での正解は出てきていないのもあって、引退する日について思いを馳せることができる側に居ることへの様々な感情が湧いてきた。難しいな、と思う。落馬で復帰が叶わなくなった人たちのことも知っているから余計にそう思うのだろう。後藤浩輝騎手のこと、佐藤哲三騎手のこと、福永祐一騎手のこと、そして私が応援している武士沢友治騎手のこと。安い感傷に浸っているのかと笑われたら否定できないけれど、それでもうまく言い表すことができない感情で私はやるせなくなってしまった。