パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

だらだらと胸の内を記す

やっと分かったのだけれど、ブログの公開範囲をカスタムにしてある条件にすると、はてなユーザー以外は見られなくなるのね。なるほど。そっそういうことがしたいんじゃないんだよはてなくん~~~! となってしまった。

ブログもツイッターも基本的には誰に見られても別にいいし、どこの誰が見るかわからないということもわかっているけれど、やっぱりちょっと思うところはあるわけで。自意識過剰で被害妄想だと思いつつ、「自分のことを嫌いあるいは好ましく思っていない人の視界に入りたくない」という気持ちは拭い去ることができない。自分は相手のことを好ましく思っていても、相手が自分のことを好ましくないと思っているだろうなという雰囲気を感じたら即座に逃げたい。たとえそれが自分の勘違いであっても。

「私はあなたのことを好ましく思っているけれど、あなたは私のことを好ましく思っていないようなので、万が一視界に入ってしまうと不快感を与えてしまうだろうから私は消えます」と、その場がいくら居心地良くても自分が引く……引くというより、相手の視界に入らないような手段を取りたくなる。いや、まあ、こんなことを言いつつ自分は他人の機微に疎いから本当に自分のことを嫌いだと思っている人の前に姿を現してしまうこともあるわけだが。

他人が自分のことを思考のうちに入れていることを前提にするなんてどれだけ自意識過剰なのかと自分でも馬鹿馬鹿しくなってしまうのだけれど、情けないことに自分は他人の目が気になってしまう質だからどうしたって気になってしまう。たとえば、ツイッター。誰が、とか、何が、とかを明確にしないで曖昧なまま、「しんどい」や「めんどくさい」がタイムラインに流れてくると、これってもしかして自分のあのツイートが不快感を与えたのでは……と思ってしまう。そして、あなたの居場所を守るために自分が退場しよう、とその場を去る。ツイッターなんて厄介で、もし自分のツイートが誰かにリツイートされてその人のタイムラインに流れてしまったらなんて考えたらもう嫌で嫌で、申し訳無くて、最後の手段はブロックしかない。相手の視界に万が一入ってしまう可能性を無くすため。こういうとき、ミュートやブロックの他にステルス機能があれば良いのになーなんて思ったりもする。

年始に下記のようなことをブログに書いた。 

・やること:嫌なものは見ない ついつい石をめくって虫を見てしまうタイプ……ってこう言うと虫が悪者になってしまうけれど、そういう意味ではなく。本物の虫なら知的好奇心が満たせるかもしれないけれど、アレとかソレとかは全くそんなことはない。というわけで、嫌なものを見るその1秒を好きなものを取り入れる1秒に変える。ブロック! ミュート! 現実世界ではできないがな!

2021年のはじめに - パンだ

この「嫌なもの」には過去のブログ記事も含んでいて、新年を機に非公開に変えたものもある。これとか。

hrcoo75.hatenadiary.com

今と同じようなことを言っていて我ながら成長の無さに愕然とした。成長の無さついでに言ってしまうが、現在の環境に慣れてはきたものの今でも他人に合わせることができないし、2人以上居る空間は緊張で息が詰まるし、1人の時間が取れないと追い詰められるような焦燥感を覚える。でも、もう、迂闊にそういうことがしんどいとは言えない。結婚という選択肢を自分で選んだからだ。「でも結婚できてるじゃん」が脳内に響く。自業自得なのだと声が聞こえる。

なんだか話が逸れた気がするが、「自分のことを嫌いあるいは好ましく思っていない人の視界に入りたくない」からそろそろツイッターも潮時なのかもしれないと思い始めている。ツイッターをやっていて良いことはたくさんあった。周囲の人達に恵まれた。離れるのは惜しいと思いつつ、でも自分のことを好ましく思っていない人の目にふれることは避けたい。小心者でも卑怯でも何でもいい。

と、こんな風にうだうだと考えているが、どうにもアクションが起こせない自分が情けなくなる。依存していて自意識過剰で被害妄想ばかりが大きくて、恥ずかしくなる。ツイッターもブログもいつかスパッと辞められたらいいのだが。